「未来へのバトン」
横浜や湘南を中心に、居酒屋、ラーメン、鉄板焼き、和食、洋食などさまざまな業態の飲食店を16店舗も展開している株式会社エイト。「常にお客様のニーズを最優先したい」という同社は、東戸塚駅開業と同時に店舗を立ち上げ、会社設立から40年が経った今でも、地域密着型のスタイルをベースに飛躍し続けています。今回は、代表取締役の近藤一美さんに、会社を経営する上で大切にしていることや、飲食業に対する想いなどをお話いただきました。
飲食店の楽しさを知ったのは8歳のころ。気がつけば毎日お店に!
1980年に東戸塚駅が開業したのを機に、母が駅前に飲食店を開いたのが株式会社エイトのはじまりでした。当時の東戸塚には飲食店が全くなかったこともあり、あっという間にお客様が殺到する繁盛店になったんです。20代前半から飲食店を経営していた母は、娘である私から見ても判断力と行動力のある人でしたが、まさに大当たりだったと思います。
常に多くのお客様が訪れる店内は、いつも賑やかで皆が笑顔。私もその空間が大好きになり、8歳にして毎日お店へ通っていました。お客さんが楽しそうにしているのを見ると、自分も何だか嬉しくなる。それが仕事になって、お金まで貰えるなんて素晴らしい~!と(笑)。当時から「将来は、絶対に飲食店で働こう」と思っていました。
カラオケボックスとの出会いが、店舗拡大に繋がった
私が高校生の頃は、バブルの絶頂期。流行したモノの一つに“カラオケボックス”がありました。高校の先輩に初めて連れていってもらったのが、通学途中の西谷にあった横浜初のカラオケボックスです。初めて見た時の衝撃は、未だに忘れられません。小さなコンテナボックスの中にカラオケの機械があるスタイルで、ルームチャージは1時間3000円、1曲200円という価格。まぁ、かなり儲かる仕組みなんです。普通の高校生なら、「楽しそう!」と感じるところを、私は「これは商売になりそう!」と感じて、すぐに自宅へ。両親に話すと、私と全く同じ感想でした(笑)。
そこからのスピード感は、すごかったですよ。母の持ち前の行動力が発揮され、すぐに物件を抑えて、あっという間にカラオケ店をオープンさせました。こちらも予想通りの大盛況!すぐに私もカラオケ店でアルバイトを始め、高校卒業後と同時に正社員として就職しました。
立ち直るきっかけは、“ホリエモン”のある言葉
カラオケ店は好調で、飲食店の方も居酒屋に加え、もんじゃ焼きやラーメンなど業態も広がっていきました。しかし、会社が大きくなって変化するつれ、私の中にも大きな変化が訪れたんです。普通の正社員でありながら“社長の娘”という立場で見られることへの戸惑いや経営者と現場のギャップなどにも直面し、少しずつ周囲にも壁を作るようになっていきました。今思うと、勝手に悲劇のヒロインになっていただけなんですけどね。
そんな中、テレビのトーク番組に出ていたのが、当時大学生でありながら起業家としても活躍していた同い年の“ホリエモン” 。そこで、彼がこんなことを話していました。
「何か問題が起きた時、その出来事を正面で受け止めるから一喜一憂してしまう。生きていれば問題が起きるのは当たり前。大切なのは、起こった問題をキャッチボールのように一度受け止めてから、どう対処するか?をしっかり考えていくことだ」
それを聞いた時、暗闇から抜け出せたような、急に霧が晴れたような気がしました。まさに自分の想いと重なって、一気に気持ちが楽になって。それからは、自分のことも冷静に見られるようになり、考え方も前向きになりました。今思うと、彼は私の恩人かも知れませんね(笑)。
「社長になるなら30歳で」母からの言葉を受け決意
その後は店長やマネージャー職も経験しましたが、少しずつ私の中である想いが湧いてきました。当時の「エイト」は、いろいろな意味で、社長である母の影響力が大きかったんです。「いつもお客様のことを一番に」という想いを持ちながら、迷いなく進んでいる母の偉大さ見ていると、「自分はこのままでいいのかな?」と感じるようになって。そこで思い切って27歳の時、焼肉ブームの火付け役でもある「レインズインターナショナル」の子会社へ転職しました。
飲食業界は、アルバイトが主体となる部分が多いですよね。「若いスタッフ達をどう盛り上げていくか?」「組織で一つになってゴールへ向かうには?」などを学び、転職してからは驚きと発見の毎日。また、外の世界を知ったことで、自分という人間の小ささも感じました。飲食業で働く身として、「お客様に喜んでもらいたい」という想いが何よりも大事。「シンプルにそこを目指していけばいい」と思ったんです。1年後には「学んだことを再び『エイト』で活かしたい!」と、復帰しました。
復帰後、すぐに母から言われたのは「社長になるなら早い方が良い。30歳を目指してみたら?」という言葉。周囲からは、「その若さで引き継がせるなんて、期待されているね」と言われましたが、私はその逆だと思いました。若いうちなら、周囲も多少は温かい目で見てくれるのではないか?という、娘に不安な部分も抱きつつ“全面的に応援するよ”という愛情だったと感じています。その愛情にも応えたいと、母の言葉通り30歳で「エイト」の社長に就任しました。あれから16年になりますが、今でも母にはアドバイスを求めることもありますね。私が気付かないような部分をサラッと指摘してくれたり、解決策へと導いてくれたり・・・。やっぱり、母は偉大です!
鉄板焼きのシメは絶品ラーメン。これができるのはウチの強み!
同業者の方はもちろん、異業種の社長さんなどにお会いすると言われるのが、「複数の業態のお店を出しているから大変でしょ?」という言葉。確かにその通りです!同じ業態のお店を複数店舗で展開していった方が、コスト的にはもちろん、人を育てるという意味でもスムーズですからね。でも、それはお店を経営している私たち側の事情。お客様にしてみれば、居酒屋もラーメン店も独立した別のお店です。さらに同じラーメン店でも、各店舗ならではの“味”を出して、オンリーワンのお店を作り、お客様に喜んでいただくことが大切だと思っています。
その結果、このような複数の業態を生み出す形になりましたが、意外にも”強み“の方が多いんですよ。例えば、居酒屋が忙しい年末年始には別の店舗は落ち着くけど、2月になると逆転したり、「ほかのジャンルに挑戦したい」というスタッフがいたら、同じ会社の中で動いてもらうこともできますよね。さらに、同じ業態だとライバル関係が生まれるところを、むしろ各店舗のリーダー同志が支え合う形も取れます。以前も、鉄板焼きのお店のシメを考えていたときに、「麺類にしよう」という意見が出ました。すると、すぐにラーメン店のメンバーが駆けつけて、彼らに指導したことで瞬時にメニュー化が実現!これこそが、”多業態を展開しているからこその強み“だと実感しました。
自分が笑顔でいるとお客様も笑顔に! 40年後も変わらぬ想い
幼い頃に私が見た景色の中には、いつも笑顔でお店に立つ母の姿がありました。そうすると、自然にお客様も笑顔になって、皆が嬉しい気持ちになる。これは、40年経った今でも、私の中にベースとしてありお店の軸にもなっています。
会社へ復帰した際、最初におこなったのは、会社の理念やそこに向かうための進み方を明確にすることでした。その「進み方・感性(心)の羅針盤」である“クレド”を作ったことで、会社で働くメンバーが、同じ目的に向かって動けるようになったと感じています。そこにあるのは、“お客様に喜んでもらおうと思って動くと、結果として自分がハッピーになる”というものです。
2011年の東日本大震災の際、それが形となりました。東戸塚は計画停電となってお店を開くことができず、私も「このまま売り上げがゼロになったらどうしよう」と不安な気持ちに・・・。スタッフも悩んでいるに違いないと心配になりました。ところが、翌日お店の様子を見に行くと、私の目に飛び込んで来たのは、止まった信号機の代わりに交通整理をするスタッフの姿。さらに、ガスを利用しておにぎりやお弁当を作り、お店の外で販売している姿でした。感激したのと同時に会社の利益ばかりを気にしていた自分が、急に恥ずかしくなりましたね。
そこで私も気持ちを切り替え、自分たちが今できることを精一杯やっていこうと!スタッフや同業者の仲間に声をかけながら、おにぎりを作って被災地を訪問しました。被災地へ行くと、たくさんの方に感謝の言葉をいただき、こちらが頭の下がる思いでした。同時に、「食は人を幸せにできる」とも実感。「私たちの仕事は、人を笑顔にすることができる素晴らしい仕事だ」と感じてくれたメンバーも多かったと思います。 “クレド”と働く皆の想いが繋がった瞬間でしたね。
日本の“食”の素晴らしさを未来へと伝えていきたい
海外出店という夢もあり、かつてはドバイでお店を展開したこともあります。しかしいろいろと難しい面が多く、結果的には撤退しました。ただ、とても貴重な経験をさせてもらったなと思っています。改めて”日本の食の素晴らしさ“についても、実感することができました。接客の面はもちろん、日本の市場や漁港がいかに優れているかは、海外から日本を見たからこそ分かったことでした。この誇るべき日本の”食“の素晴らしさは、未来へと受け継ぐ貴重な財産だと思います。これからも様々な形で食に関わり、飲食業界を盛り上げながら、お客様の笑顔があふれるお店作りをしていきたいと思っています。
取材を終えて
飲食業界の中でも数少ない女性経営者として、活躍を期待されている近藤さん。16店舗ものお店を経営しながら、スタッフとの交流も絶やさず、新たな展開も考え・・・と忙しい日々を送る近藤さんには、何か特別なリフレッシュ方法があるに違いない!思わず気になって聞いてみると、「何でしょう・・・?そう言われると、特に無いかも知れないですね(笑)。お店に出ること、お店について考えることが楽しいので、お休みも必要ないんです」と笑顔。この自然体な雰囲気と素敵な笑顔こそが、会社のトップとして走り続けていける理由なのかも知れません。これからも株式会社エイトは、常にお客様の目線に立ち、食を通じて多くの人々を笑顔にしてくれることでしょう。
会社概要
【会社名】 |
株式会社エイト |
【代表者】 |
代表取締役 近藤 一美 |
【設立】 |
昭和55年5月1日 |
【資本金】 |
4,000万円 |
【事業内容】 |
神奈川県を中心に飲食店16店舗経営 居酒屋(とり吉・よりみち酒場) もんじゃ焼き(もんじゃ横丁) らぁめん(壱八家・半蔵) 和食(八倉・天七) 洋食(鎌倉洋食 源屋) 鉄板焼き(虎幻庭) |
【従業員数】 |
76名(平成23年8月現在) |
【本社所在地】 |
〒245-0051 神奈川県横浜市戸塚区名瀬町2060番地 |
株式会社エイトのホームページはこちら
取材・文/小林 真由美
東京都出身。
横浜市戸塚区、藤沢市片瀬海岸へと移り住み、現在は横浜市中区在住。
編集プロダクション、出版社勤務を経て2005年よりフリーライターに。現在は、情報系WEBメディアのほか、横浜や湘南の地域WEBメディアにて、企業のトップや店長、クリエイター、専門家など、さまざまな職種の方へのインタビュー記事を担当。
9歳~16歳まで住んだ戸塚区には思い出が多く、今でも時折 “柏尾川沿いの風景”に癒されている。
事務局長 宮下 充
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